離婚に向かって進む
目次
話し合いをする
2人きりにならない
離婚に向けて進もうと決めたのは、別居を始めて3ヵ月頃のことでした。おそらく、元夫は短期間で片づくと思っていたようですが思うように解決しないことにいらだっているようでした。
「お前の返事を待つ」といいながら、1日に何通も何通もラインが来る…。
「こんなに待っているのに、経過報告もないのか!」と、1日に何通もラインが来る…。
仕事の時間なんてお構いなしで、毎日毎日毎日、何通も何通も何通もラインが届きました。
「早く決めろ」というので、「離婚をしたいと思っている」「離婚に向けての話し合いがしたい」と伝えました。
それでもわたしが本気だとは思っていなかったようで、直接話せば言いくるめられると自身に満ちあふれていた元夫は話し合いに応じました。
ただ、2人きりではまともな話し合いができないこと、証人として誰か同席してもらうことを考えました。
両方の父親が同席
話し合いには、両方の父親に同席をしてもらうことにしました。元夫の父親は多少常識を持っている人だと思ったことと、母親が同席しても話し合いにならないと思ったのです。
「父親が同席する」ことを条件に話し合いの日程を決めたのですが、前日に元夫からきたラインには「(元夫の)父親を同席させると、どうなるかわからないから同席させないほうがいい」とメッセージが来ました。
元夫は、自分の状況を親に知られたくないと思っていて、どうして今の状態になっているのか説明もしていなかったのではないかと思うのです。
そして、わたしとわたしの父親ならば、言いくるめられると思ったのでしょう。
「父親が同席する」という条件で話し合いをすると言ったのだから、前日になってそれを反故にするのは無責任です。
約束を守らないのであれば、話し合いには応じないと何度も何度も説明をして、当日は父親を連れてきました。
元夫の父親は、多少、常識があると思っていたのはわたしの勘違いだったようで、元夫と同じ思考の人間でした…。
証拠を残す
話し合いをするときには、ボイスレコーダーで録音をしました。小型タイプのボイスレコーダーを準備して、ポケットに入れておきました。
父親同士はあくまでも「証人」として同席してもらうこと、意見を求めたいわけではないことを説明したうえで話し合いを始めたのですが、その約束はすぐに破られました。
わたしの父親にはボイスレコーダーで録音することを伝えて、言い返したくても怒りたくても耐えてくれるようにお願いをしておきました。
父はとてもツラかったと思います…。
なにかのときに証拠として使うには、こちらが不利になるような証拠は残したくなかったので、父には耐えてもらいました。
…実は、別居のきっかけになった話し合いのときにもボイスレコーダーで録音をしていました。
スマートフォンのアプリのボイスレコーダーを使って、すべての会話を記録しました。
録音をしていると思うと、できるだけ冷静に話をしようと思ったり、不利になるような言葉は使わないようにしたり、自分が落ちつくためにも有効でした。
すぐに離婚を考えていないときでも、日常的に言われたことやされたことを記録して、証拠として残すことはとても大切です。
あとから裁判所で調停を考えているときには特に、証拠を残さないと「すべてなかったこと」にされます。
覚書を渡される
離婚はするけど…
離婚に向けての話し合いだという約束をしたのに、元夫はやっぱりなにもわかっていませんでした。
離婚をしたい理由を説明しても、そもそも納得する気がないので。何度も何度も何度も同じことをくり返すような、話し合いにもならない話し合いでした。
「親権はお前にやってもいい」
「離婚してやってもいい」
と、1度目の話し合いは終わったのに、2度目の話し合いは「役職がついて、給料があがるから離婚をする必要がない」と言い出したところから始まりました。
元夫は、わたしが離婚をしたいと思っているのは「親のせい」「収入のせい」としか考えていないことで、話し合いは難航しました。
元夫の父親は「証人として同席する」という約束をやぶり、自分の意見を延々と演説していました。
元夫も、元夫の父親も、気に入らないと怒鳴り散らし、話し合いにならない時間が続きました。
結局、2度目の話し合いは、元夫が離婚について考えてくるという、わけのわからない終わり方になりました。
条件について
3度目の話し合いのときに、やっと離婚に向けての話し合いをすることができて、養育費や生活費のことを話し合いました。
といっても、元夫はお金を払いたくないので、給料が少ないことや、離婚をすることで家族手当や住宅手当がなくなるという、条件にならない条件を並べていました。
お金はもちろん大切ですが、わたしはどうしても譲れないことがあったのでそれが得られるならあとの条件はそれなりなところで応じようと思っていました。
子どもたちの面会については、月に3回と要求をされました。
「子どもたちが会いたいというときに、会えるようにするのがいいのでは?」といっても、「絶対に月3回」と譲りません。
正直なところ、月3回というのはとてもむずかしいです。
日曜日は平均して月に4回しかありません。
それなのに、そのうちの3回も面会をするというのは、子どもたちが休める時間や自由に過ごす時間がなくなってしまいます。
面会の調整をする連絡も取りあわなくてはならないと思うと、苦痛でしかありません。
ただ、同意したことにしないと話し合いが進まないので、とりあえず「月2回」ということに。
3度目の話し合いのときに離婚届を渡して、次回までに準備してくるようにお願いしました。
内容がちがう覚書
4度目の話し合いでは、まずは覚書を渡されました。
養育費のことや面会のことが書かれていました。ただ、面会の回数は「月3回」となっていたので訂正しないと了承できないことを伝えました。
元夫はわざわざわたしの目の前で、自分の名前と押印をし始めました。
他の項目は記入してあるのに、わざわざわたしの目の前で書くというパフォーマンスだと思いました。
元夫の父親も同じように、その場で証人の欄に署名と押印をしました。
そして、離婚届を提出する前には連絡をすることを約束しろと言われたので、約束をしました。
1番大切なことは親権だった
親権は譲れない
わたしが絶対に譲れなかったことは「親権」です。
離婚について悩んで迷ったときには、お金のこと、家のこと、将来のこと、子どもたちのこと…たくさん考えました。
その中で、どうしても譲れないことは「子どもたちのこと」「親権」でした。
親権を取って離婚が成立するなら、あとのことはどうにでもなると思ったのです。
親権が決まらないと離婚届を出せない
離婚届を提出するときに「親権」についての欄があります。
親権をどちらが持つのか決めないと、離婚届を提出できないのです。
元夫は始めの話し合いのときから「親権」はわたしにくれると言っていたので、その気持ちが変わらないうちに離婚届を提出してしまいたかったのです。
親権の話し合いがうまくいかないときには、離婚調停という方法もあります。
ただ、わたしはできるなら離婚調停はしたくないと考えていました。
離婚調停をすると、離婚をするまでに時間がかかることや、養育費や面会交流の話し合いも同時に進める可能性が高くなってしまうので、それはイヤでした。
親権さえもらえるなら、あとは何でもいい!
それくらい、絶対に子どもたちのことだけは譲れませんでした。
あとのことはあとで!
子どもの親権を取って、離婚が成立するなら、あとのことはどうにでもなると思っていました。
元夫は覚書を作ってきましたが、ラッキーなことに「覚書に同意をしてから離婚届を提出する」という条件はつけていませんでした。
元夫が言った条件は「離婚届を提出する前に連絡をする」ことだけ。
そして、署名押印された離婚届はわたしが持っています。
離婚届を提出
役所にかけこむ
離婚届を書いてもらえたことで、安心していました。
…だけど、またいつ意見をくつがえすかわからない、おかしな条件をつけてくるかわからない!
そう不安になったわたしは、離婚届に署名押印された次の日の朝イチバンに役所に提出することにしました。
「離婚届を提出する前に連絡をする」という約束は守ろうと思ったので…。
元夫の仕事が始める時間の寸前に、電話をかけました。
電話で話をするのもイヤだったし、ラインだと「文章」として証拠が残るとも思ったのですが、返信がくるまで待たなければならないこと、返信するまでに誰かに相談をして「ストップ」といわれたら困ると思ったのです。
自称「仕事ができる」「部下に慕われている」「上司にも期待されている」という元夫の性格的に、仕事が始まる寸前に連絡をすると普段以上にすぐにカッとなって、思考停止して投げやりになって「わかった!!」という可能性が高いと思ったのです。
わたしの予想は的中して、元夫は「はぁ!?」と声を荒げたあと、「わかった」と答えました。
「わかった」といったけれど、気が変わって家に乗り込んできたり、役所で待ち伏せをされたりするかもしれないと恐怖になったわたしは、必要な書類を抱えて車に飛び乗り、役所に駆けこみました。
約束は守った
「離婚届を提出する前に連絡をする」という約束をわたしは守りました。
離婚届は無事に受理されて、日数はかかりましたが家庭裁判所で子どもたちの戸籍をわたしの戸籍にうつすこともできました。
ただ、元夫はわたしが「約束をやぶった!」と言い出しました。
「離婚をしたら(手当が減るから)、就職をしてから離婚届を出すって言っただろう!」
「覚書はどうするんだ!」
「児童手当は支払に使う」
「生活費は渡さない」
就職をしてから離婚届を提出するほうが、その間も手当がもらえるんだ、という話はされましたが、就職をしてから離婚届を出すという約束はしていません。
覚書は内容に同意できたら署名押印すると何度も伝えています。
それに、覚書に署名押印してから離婚届を出すという約束もしていません。
児童手当はすぐに手続きをしたのですが、元夫の口座に振り込まれてしまって、元夫からもらわなければならない分がありました。
それを、別居中の生活費の支払いに使うと言われたのです。
別居中の生活費は元夫が払うこと、離婚が成立してから最長で3ヵ月は生活費を少し支払ってくれることを約束していたのですが、わたしが「勝手に離婚届を提出した!」「約束をやぶった!」として、元夫も約束を反故にしようとしてきたのです。
児童手当は、子どもたちのためのお金なので、そこから差し引きはせずにお金を渡してくださいとお願いしました。
もし、元夫が児童手当を勝手に差し引きして残額を渡してきたら、「子どもたちの生活を考えていない」という証拠になるし、全額支払ってくれたら、それはそれで良しとしようと思っていました。
結果、全額支払ってはくれましたが、生活費は支払いませんでした。
「お前が、生活費を欲しいっていって、お願いをすれば、考えてやってもいい」というメッセージが届いたので、それはしないことにしました。
お金は必要ですが、元夫の支配を拒否する気持ちを示したかったのです。
同時に進めていたこと
離婚の話し合いは月に1度のペースだったのですが、同時に新しい生活に向けた準備を進めていました。
専業主婦で在宅ワークをしているとはいえ、ほぼ無職のような状態でしたが、賃貸アパートを契約できたのです。
子どもたちが転校したり生活環境を大幅に変えずに済む場所に引っ越すことを決めて、契約も進めていました。
お金の準備や子どもたちの学資保険の名義変更の段取りも調べて、これからの生活に必要な準備をどんどん進めました。
譲れないこと
離婚の話し合いは簡単には進みませんでした。それでも、絶対に譲れないことを守るためにどうすればいいのか、必死で考えました。
元夫の性格や特徴を、良くも悪くも一番知っているのは自分だということを忘れないようにして、わたしが望む方向へ進む道を探しました。
わけるような財産があれば欲しいし、お金も、家具家電も車も、できればたくさん欲しいと思う気持ちはありました。
だけど、お金や物はまた手にいれることができるけれど、子どもたちだけは絶対に手放したりあきためたりしてはいけないと、わたしは思ったのです。
相手の性格や状況によって、同じ方法が通用するとは限りません。でも、絶対に道はあるはずだと信じて進んで欲しいと思うのです。